人生後半の『ほぼ写真日記』

笹の葉8の日々散歩とひとりごと

悲嘆からの立ち直りには歳月の経過は役にたたない



世間では「時間薬」などと言って、時間の経過が負ったダメージを癒していくと思っている人がいる。(「早く忘れて立ち直って」などと言う人がこれ)


しかし、あまりにも重いダメージには、時間の経過などは、実は役にたたない。


重たいテーマで、自分は専門家ではないので詳しく説明したりできないのが申し訳ないが、
もしかしたら誰かの役にたつかもしれないので取り上げてみた。


私は、ある日突然事故や事件にあった本人やその遺族に接する機会がある。
(信頼関係や守秘義務の関係上、詳細は記載できないことを了解ください。)


何の心構えもなく突然遭遇する不条理な出来事に、あたりまえだが人は言葉で表現できないほどのダメージを負う。


例をあげると、遺族だったら
愛する者がとうてい納得できない理由(事故・事件)で突然この世からいなくなる。


この現実から立ち直るためには、歳月がどれほど経過してもダメなのだ。
その悲嘆を中途半端にせず完全燃焼させることが、絶対に必要となる。


そこで、悲嘆から立ち直るために通過しなければならない12の階段があると言われている。




長くなるが先ず見てもらおう。


❶精神的打撃と麻痺状態
➋現実の否認
❸パニック
❹怒りと不当感
❺敵意と恨み
❻罪の意識
❼空想形成と幻想
❽孤独感と抑うつ
❾精神的混乱とアパシー(無関心)
❿諦めー受容
⓫新しい希望
⓬立ち直りの段階―新しいアイデンティティーの誕生



直後の遺族で傍から見ると驚くほど落ち着いて見える人がいる。
だから大丈夫なのではなく❶の状態にある。
そこから一段ずつ階段をのぼるように辿っていかなければ、悲嘆から立ち直ることはできない。


それは何十年もかかるかもしれないし、
「❿諦めー受容」まではいってもその先の⓫⓬は無理な人もいるのだろう。


❶~⓬の途中は傍からみたら(申し訳ないが)狂気にさいなまれたかのようであったり、第三者からすれば見苦しい態度に思われたり、配偶者などから自分一人だけが悲劇の主人公のようだなどと非難されたりすることもあるが、そうするしかないのである。


私は、この12の階段を知ったことで助けになった。


突然の愛する者の死に直面した人(自分・親・配偶者・知人)は
たどらなければ、悲嘆から立ち直ることはできないんだと…


あるいは、こういう経路を辿っているんだ、ステップの今ここにいるんだと…


頭の隅のどこかに留めておいてほしい。



*12の階段はアルフォンス・デーケン『悲嘆のプロセスを通じての人格成長』から



※ひとりごと


写真は、垣根の中を撮ってみた、下書き保存したままになっていたもの。


ところで、12の階段についてですが、
私は専門ではないので、こういうものがあることを紹介しかできないのです。


反発する人もいるだろうけど、
私は知ったことで助けられたのは事実なので、記事にしてみました。