人生後半の『ほぼ写真日記』

笹の葉8の日々散歩とひとりごと

朝やけと有明の月

朝日が映す影






松越しの有明の月








※ひとりごと


有明の月は、夜が明けても空に残っている月の総称。


私は、『とはずがたり』に出てくる『有明の月』(後深草院の弟親王の仁和寺の阿闍梨)
が真っ先に頭に浮かぶ。


『とはずがたり』(著:後深草院二条)は、私が一番好きな古典文学で、
是非、現代語訳で読んでほしいと薦める1冊。


いつもすみませんが、興味のない人にはホントつまらない話なので
ここからスールーしてくださいね。


『とはずがたり』は、鎌倉時代中後期の日記・紀行文学で
存在が明らかになったのが1940年(昭和15年)とかなり時間を経ている。


宮内庁書陵部の蔵書の中で、
長い間その存在を知る者もわずかだったため『天下の孤本』と言われる。


内容は、古典嫌いをも引き付けるものだ。


前半の日記部分は、生々しい宮廷の憎愛、権謀術数、駆け引きありの
「えっ!」と驚くものである。


あまりに内容が生々しくて、外に出せなかったのではないかとすら思う。
(だって皇室の先祖がこんなことやってんだーって感じなのです。)


また、後半は宮中を離れ、旅での出来事を描く紀行文学になっており、
そのギャップにも目を見張る。


それゆえに、宮内庁書陵部の書籍目録では地理に分類されていたという。
書名からしていぶかしく思い、探しだされたのが発見の経緯だ。


ネタバレしないように詳しくは書かないが、


最初に読んだ若い頃は、『雪の曙』(西園寺実兼)の
如才ないスマートなふるまいにとても心惹かれた。


逆に『有明の月』(後深草院の弟親王)の不甲斐なさと言うか、
ストーカーなみのしつこさに辟易したが、


後年、年齢がいってから読んだ時は、
『有明の月』の人間らしさに印象がガラリと変わり
自分でも驚いたので、印象深いのである。


現代語訳は、瀬戸内寂聴さん(まだ晴美と言っていた)版が、読みやすくしっくりくる。





どうでもいいことですが ↓バレーボールが頭に浮かんだ