人生後半の『ほぼ写真日記』

笹の葉8の日々散歩とひとりごと

季節はずれの…記憶

今日は、自分の記憶にまつわる話…


                    

                       *以下画像拝借しました('◇')ゞ
子どもの頃、
朝顔はひまわりと並んで夏の定番の花だった。


母が前年の種を脱脂綿に包み木の小箱に保存していた。
私は幼くて、このような種の保存の仕方が
どういう手法だったのかも
一般的なことだったのかもわからない。


毎年初夏を迎えると、
庭の定位置に姉と二人で朝顔の種を植えた。


何かの子ども向け科学雑誌に、
朝顔の開花する状況をリアルに観察するという記事があった。



蕾の状態からあす開花すると予測しても、
ちょうどその時間に見ることは至難の業である。


そこで、
その蕾を物理的に圧迫し、開花を遅らせてしまうのである。


簡単に言うと
私たちはチューインガムの筒状の外箱を蕾にかぶせた。


翌朝できる限り早起きして、
時間をかけて開花するのを観察する。
姉は観察に成功したが
私は眠っていて見られなかった。


そこで後日もう一度試みた。
しかし、そこから私の記憶は混濁する。


自分は見られたのか、見られなかったのか
ハッキリしないのである。


おもしろいことに2通りの記憶があって
ガムの外箱を外した……
蕾はそのままで一向に変化しなかった悔しい記憶と
徐々に時間をかけて開いていく様子を確かに見たと思う
うれしかった記憶…




※ひとりごと


この記事の朝顔の記憶は
あまりに昔のことで曖昧になったのだとは思うが

私は後年ある事情から記憶障害になった
それ以降自分の記憶に自信がもてない


急に脈絡なくよみがえる記憶は、

本当にあったことなのか…
それともなかったのか


機会があれば
私の障害のことを聞いてもらいたい気もするが
いや、ネットが怖いと思い、ためらう自分もいる。



自宅の朝顔