お母さんのエプロンー3.11その後の話
当時の同僚の奥さんの実家が福島県南相馬市にあった。
南相馬市とは東日本大震災の実話に基づくNHKのドラマ『ドラマ 星影のワルツ』を見た方がいればわかりやすい。
ちなみにドラマの内容は
津波にのまれた男性が屋根の破片に乗って福島沖の海を漂流し、救助されるまでの三日間を、実際のニュース映像を交え、人間の底力と家族の絆を描いたドラマである。
奥さんの実家は、そのドラマのモデルの人(当時・南相馬市在住)の近所で、同じように家ごと流された。
当時奥さんのお母様は一人で住んでおり、行方不明になってしまった。
同僚の配偶者の話など聞いたこともなかったので、状況を聞いて驚いた。
避難所では見つけられず時間の経過とともに
当人たちにとっても、もう亡くなっているだろう事に疑いは無く、何度も現地に向かいご遺体や遺品の捜索を続けていた。
2年が過ぎた頃だっただろうか
「やっと墓に納めて供養をした」と同僚から報告があった。
歯科他の治療記録があって何らかの照合ができたのかと思い話を聞いていたら
遺品を保管している所でエプロンを見た奥さんが
「お母さんがこんな柄のエプロンを持っていた」
「お母さんのエプロンだ」と言ったそうだ。
同僚が言うには
震災で埋もれていた小さなエプロンで、ハッキリ確証があるはずがないしたぶん違うとは思うが…
と言葉少なに語っていたのを思い出す。
奥さんの心情を自分がわかったつもりになって察することはできないが
精神的な区切りをつけるために「お母さんのエプロン」が必要だったのであろうとは想像できる。
「ドラマ 星影のワルツ」は
モデルはいるがフィクションであり
実際の話とはかなり違う
夫婦2人が家の屋根に乗って家ごと漂流した
当時は映像も実況も見たし
現地で実際に見聞した同僚からも聞いた(近所の人だったので)
当たり前の話なのだが
必死に屋根につかまり
自分以外を気遣う余裕などは全くない
ことは容易に想像できる
夫婦がお互いに気遣えるような状況になく
夫が気づいた時にはいつの間にか
妻の姿がなかったそうだ
「ドラマ 星影のワルツ」は哀しくも生きる力をとりもどしていく感動を誘う話になっている。(悲惨な状況を美化する意図は毛頭ありません)
むしろ夫が自分の記憶を
ドラマの内容と置き換えてしまっても
良いのではないかとふと思う
記憶とは案外そのようなものではないだろうか


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